ポリーニのショパンとドビッシー

今日、2017年6月18日(日)は、ムジークフェラインでポリーニのピアノ独奏会。

 

ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ

曲:

ショパン  ノクターン 作品 27-1

      ノクターン 作品 27-2

      バラード  作品 47

      バラード  作品 52

      子守歌   作品 57

      スケルツォ 作品 20

(休憩)

ドビッシー  プレリュード 第二集 の12曲

 

ショパンは、曲が進むにつれて盛り上がる構成になっており、徐々に聞いているこちらも集中できた。ピアノには、遠くから見ると”YAMAHA"のロゴが横から見えるように思えて、ベーゼンドルファーの中低音の重厚さともスタインウェイのきらびやかな高音ともことなる中庸なポリーニにぴったりの無色のYAMAHA(このピアノを正式に音楽会で聞いたことはなく、勝手なおもいこみです。)を選んだ、と思い込んでいた。

休憩中にピアノの近くに行って確認すると、しっかり”Steinway & Sons"の名前があり、いかに自分の耳があてにならないか、を思い知った。

ショパンに比べて、盛り上がりに欠けると思われる、ドビッシーの後半が心配...。

 

後半のドビッシーは、退屈どころか最初から終わりまで息つく暇もない緊張感と迫力で聴衆の心を引き付けた演奏だった。さすがにポリーニが休憩後に持ってきただけある自信のある、迫真に迫る演奏だった。

 

2015年のN響との共演で五嶋みどりのショスタコーヴィチVn協奏曲を聞いたことを思い出した。ショスタコーヴィチのVn協奏曲はこの日が初めてで、予習も何もせずに聞いたが、出だしから五嶋みどりさんの迫力に息ができないほど。会場全体が固唾を飲んで演奏を聴いていた。私は聞きながら、五嶋みどりさんが演奏中に倒れてしまうのではないか、と思うほど精神を集中した(命を懸けた、と表現する方が当日の私の素直な感想)みどりさんだった。

 

ドビッシーも、私にはほぼ初めての曲だったが、ポリーニの演奏は一曲一曲の性格を際立させた、変化に富む、とても退屈している暇などない気迫のこもった演奏だった。

アンコールは、おそらくドビッシー1曲とそのあと有名なショパンの曲を2曲(聞いたことはあるが作品名まで覚えていない)。アンコールは、いつものことで演奏者も聴衆も肩の力を抜きながら、決して演奏も聞く方も中途半端にならず集中力を持続しながら楽しめる、とても有意義な時間。3曲もアンコールを演奏してくれて会場はスタンディングオベーションの嵐。

いい演奏会だった。